2021-05-31 第204回国会 参議院 決算委員会 第8号
古くは紀元前から、また、ナポレオン戦争においても第一次、第二次戦争においても日露戦争においても、みんないかに性病を少なくするかという記録が残っています。にもかかわらず、韓国政府は、世界で類を見ない戦時の女性の人権じゅうりんなどという新たなレッテルを貼ることで日本を不当におとしめて孤立をさせ、事実に基づかない歴史認識を国際社会に喧伝をしています。
古くは紀元前から、また、ナポレオン戦争においても第一次、第二次戦争においても日露戦争においても、みんないかに性病を少なくするかという記録が残っています。にもかかわらず、韓国政府は、世界で類を見ない戦時の女性の人権じゅうりんなどという新たなレッテルを貼ることで日本を不当におとしめて孤立をさせ、事実に基づかない歴史認識を国際社会に喧伝をしています。
これは、一九〇四年の日露戦争の勃発などにより、再編法案は提出されず幻に終わりましたが、当時から四十七の広域自治体ありきではなく、様々な事情を考慮してその時代に合った広域自治体の在り方が検討されていたことを示しております。 道州制については、最近全く議論されなくなりましたが、国会で議論を行うべきであります。
いわゆるCIAの方なのか分からないですけれども、日本でいくと、日露戦争ばかり言って恐縮ですが、明石元二郎という人がいました。
よく例に引きますけど、日露戦争のときの借りた国債というのは結果的に一九八八年払い終わっていますからね、あれ。そういった意味では、私どもとしては、きちっとそういうものをやっていくという姿勢は大事なことなんだと思って、それがマーケットの信頼を勝ち得るんだと思っております。
歴史を振り返りますと、日露戦争前の日英同盟を結んだのは、第十八代また二十三代外務大臣であられた小村寿太郎さんの存在がありました。一方で、太平洋戦争突入前の国際連盟の脱退、あるいは日独伊三国同盟締結、あるいは日ソ不可侵条約、あるいは日ソ中立条約とも言われますが、この辺りの中心人物は松岡洋右さんという第六十三代の外務大臣でいらっしゃいました。
○国務大臣(麻生太郎君) これはもう北村先生よく御存じのように、この六十年という償還ルールというのは、これは古くは日露戦争の戦時公債を発行するのはあれが六十年債。
戦費調達のためだったとも聞いています、日露戦争時代。でも、やがて庶民もみんな使う、ガソリンを使わなきゃどこにも行けない、生活必需品だとなっても、昭和四十九年のオイルショックのときから本則税率に二倍の税金をかけてきています。いわゆる暫定税率です。今の当分の間税率であります。
日露戦争のときに戦時公債として一千万ポンドをイギリス政府から借りておりますけれども、その金は四十年債だったんですけれども、大東亜戦争、太平洋戦争等々もあって、返済ができなくなったのが、結論、敗戦後再契約をして、日本はそれを八十年債に変えて、一九八八年六月、たしか宮沢内閣だったと思いますけれども、それまで払い続けて返したというので、国の借金とはいえ、確実に返済をさせていただいたというので、そういった意味
かつて揮発油税が創設されたのは、それこそ日清、日露戦争の戦費調達由来だったと国税庁の物の本によく書いてあります。途中、戦争を挟み、戦後の昭和二十四年に現在のガソリン税の形になっていくんですけれども、私の理解では、このガソリン税の変遷というのは、財政物資的に課税した時代、つまり、たばこ税的な課税であった時代もあったんじゃないか。
少なくとも、国債というのは、御存じのように、日露戦争のときの国債、一九〇五年ですから、あの国債をいつ返したんだと。あれは一千万ポンドを借りているわけですから、戦時公債として。
舞鶴は、日露戦争のころから港で生きてきた町、造船の町です。新船建造が再びできるような産業政策としての環境整備等、配置転換や利息とか、また関係企業への苦境のフォローは、ぜひ所管大臣としてしっかり行っていただきたいと思いますけれども、大臣、最後、一言お願いします。
得撫より南が、そして樺太が混住の地ということになったところでありまして、それから一八七五年の樺太千島交換条約が成立し、そしてまた日露戦争の後のポーツマス条約では、今度は樺太が半分また日本のものになるという具合にして領土問題を繰り返してきました。
そこそこの金利どころか超低金利と言ってもおかしくないと思いますけれども、超低金利で収まっているというのは、我々は、長い歴史の間、少なくとも日露戦争の戦時公債を八十年掛けて返済している国ですから、そういった国でもありますので、マーケットの信頼は極めて高かったんだと思っておりますので、私どもとしては、財政の持続性というのをきちんと確保しておかないと先が責任は持てませんので、私どもとしては、将来世代の責任
確かに、おっしゃるように、我々は一九〇五年、日露戦争のときに戦時公債を発行しております。あのとき四十年でやったんですけれども、実際あれを返済し終わったのは一九八八年の六月に返済しておりますから、八八年、八十年掛けて国債を返済をしたというのが我々の歴史でもありますので、そういった意味では、日本は金を貸したら必ず返してくれる国という意識を世界中に定着させた。
日露戦争の勝利がロシアからの独立につながったこと、そして、スウェーデンとの間のオーランド諸島の帰属をめぐる領土問題を当時国際連盟事務次長だった新渡戸稲造が平和的に解決したことで、日本人が大変尊敬をされている、日本に対する印象が大変よいというふうに聞いております。
朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書「日本の禍機」を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた。」というふうに書いてございます。
であればこそ、白村江の戦いから日清戦争、日露戦争、韓国併合に至るまで、こういうことがあったわけでございます。 韓国がやはり隣国であるという地理は変わりませんし、先ほどの我が党からの質疑でもありましたように、やはり人口減少をしていく日本の国力、これを無駄に割くべきではないという観点からも、私はこれ以上の日韓関係の悪化を防ぐことは必要だと思います。
日露戦争のときに借りた五百万ポンドですら、第二次世界大戦のときに滞ったとき以外は、あれは六十年債で借りているんですけれども、一九六五年に返済が終わるはずですが、そのときの金は返済ができず、戦争でしたから。しかも、敗戦国になったので普通はそういった金は返さないことになっているんですが、日本は、敗戦したにもかかわらず、その金を、二十年延ばして一九八六年に全額完済。
その中には日清、日露戦争も入っているし、日米戦争も入っているんですけれども。 その中国の現在の台頭ぶりというのは、その十六回の中でもすごいもので、十七回目ですね、十七回目が果たして平和的に収められるか、結局は戦争になるか、これ非常に深刻な問題。本人たちだけじゃなくて、前線にある日本にも火の粉はもう必ず一番ひどく掛かるかもしれないですし、人類史にとっても大変なことなんです。これをどうするか。
日露戦争が始まってから、九月です、半年後に詠まれた歌でございますけれども、安倍総理が言っているその明治天皇ですね、「しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける」。国民が一致団結、困難を乗り越えてきたと言っているんですけれども、日露戦争の当時にも、与謝野晶子の歌を含め、戦争についていろんな国民の思い、感情があったのではないですか。
○小西洋之君 明治天皇は日露戦争に際して非常にたくさんの歌を詠んでいるんですが、当時、新聞で続けて発表された、今御紹介している歌と一緒に発表されている歌を申し上げますと、石畳堅きとりでも戦人身を捨ててこそ打ち砕けれ。分かりますか、石畳堅きとりでも戦人身を捨ててこそ打ち砕けれ。まさに与謝野晶子の弟さんは、旅順攻略戦、トーチカで固めた旅順に肉弾戦を行ったわけですが、当時の日本軍。
一月二十八日の施政方針演説で安倍総理は、今フリップ出しますけれども、明治天皇が、一九〇四年の、日露戦争が始まったんです、日露戦争に際して明治天皇が詠んだ歌、「しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける」という歌を施政方針演説の中でこのとおり読み上げました。 それに続いて、会議録を読み上げますが、「明治、大正、昭和、平成。日本人は幾度となく大きな困難に直面した。